使用法

お城

伊豆石の最も有名な使用方法は、なんといっても立派なお城でしょう。江戸時代初期、徳川幕府が手掛けたお城には「堅石(かたいし)」という安山岩系の硬い伊豆石が使用されていました。築城にあたっては配下の大名たちが関わって大規模な切り出しが行われました。お城に残された刻印(大名の印)を見ると、どの石がどの大名によって運ばれたのかが分かります。行政によって最も研究が進んでいる分野です(※江戸城の石垣には多く伊豆半島の石材が使用されており、駿府城の石垣には地元静岡市の小瀬戸の石材が多く使われ伊豆半島の石材はそれ以外に使用されてるとされます)。

建物

静岡県の東部伊豆、清水、焼津藤枝、天竜川流域などでは、石蔵や民家の塀、壁などに伊豆石が用いられているものが多く残されています。これらは、明治期以降和洋折衷の技術によって建てられた建物であると考えられます。主に、明治期に切り出しが盛んとなる伊豆軟石が使用されていますが、場所によって緑色、黄色、灰色の石材が使われており今後さらなる調査分析の必要性があります。

生活

近世近代の人々にとって石材は生活に欠かせない道具でした。伊豆半島とその周辺部では、カマド、井戸、門柱、墓石、家の礎石、庭石、砥石…何気ない生活の風景の中に、伊豆石を使った道具があふれています。耐火性のある材は、貴重な資源として有効に活用されていました。

温泉地伊豆

伊豆半島と言えば温泉地が豊富なことでも有名です。それらの温泉の敷石には、伊豆石最後の生き残りとして現代まで存続していた「伊豆若草石」が使用されていることが多く、「伊豆石の温泉」はその温泉のブランド力の証でもあります。軟らかく肌触りがよく、ゼオライトを含む若草石には様々な効能があるとされています。

近代遺産

明治期に入ると、西欧の技術が導入され石材の使用用途が多様化します。台場、港湾、反射炉、造船所、鉄道、駅舎、外国人居留地、トンネル、道路、倉庫…平野部が多く石材の少ない関東での近代化を支えたのは、安定した石材供給が可能であった伊豆半島でした。伊豆石は、大正期に入って大谷石にその座を譲るまでの間、長きにわたって江戸と東京の近世と近代を支えました。

アメリカにも!?

画像の塔を一度はテレビで見たことがある人もいると思います。アメリカ合衆国首都ワシントンD.Cにある、リンカーン広場に立つオベリスク型のワシントン記念碑には、各国から持ち帰った石をはめ込むことが出来るようになっています。その一部に、現在でもペリー提督が下田から持ち帰った伊豆石を確認することが出来ます。


執筆者:剣持