伊豆石コラム第五号

伊豆石産業遺産群とは?

〜伊豆石産業史は「モノの先に人を感じる心」の象徴〜     ※一覧表は↓に掲載。

 モノに溢れる現代。私たちは、誰が作ったか分からない食材を食べ、服を着て、家に住み、SNSで誰だか分からない人のいいねやコメントに一喜一憂する、便利で孤独な社会を広げてきているのかもしれません。

 しかし100年前の先人は、「モノの先に人を感じながら」生活していました。明治の教育で全国にその名が知られるようになった「伊豆石」は、そんな物産の代表でした。当時を知る人々は、誰も気に留めないような道路脇の石材や、建物の石材を見て、感慨深くこのようにつぶやくのです。

「これは伊豆から来た石なんだよ」

    切り出した人、加工した人、遠路はるばる運んだ人、構造物を造った人…「伊豆石」という言葉は、多くの人の「手仕事」の結果を表す言葉でした。

 開国から明治期、日本が世界に近代化した姿を示すため、首都圏では西洋に倣った石の都市造りが必要になりました。江戸時代から築城事業などで石材産業の蓄積があった伊豆半島は、7〜8割ものシェアでこれに応じて伊豆石を供給しました。皇居など皇室関連の施設、国の官庁建築、外交施設、商館建築、銀行建築、近代化の土木用材、首都圏の重要な国の事業の殆どに伊豆石は使われました。

 これらの近代化事業の結果、日本はアジアで二国(日本とシャム※現タイ)しかなかった独立国の地位を保ちました。産地に近い人々は、そのような石造の風景を見て、決して安くはない石の丈夫な建物を自分たちの生活にも取り入れていきました。

    石材産業を始め様々な近代産業に関わった人々の「手仕事」のおかげで、現在の私たちの生活があります。その首都圏で失われた明治の石の街並みの痕跡は、地方の生活に辛うじて残っています。

 伊豆石産業史は、「寛容」の心が試されている現代で、私たちに、未来に、子どもたちに、「モノの先に人を感じる心」を伝えていく題材として必要とされています。

各地の伊豆石産業遺産群一覧例

→沼津市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。  

※ぬまづの宝100選「伊豆石産業遺産群」(外部サイト)

→下田市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。

※下田市景観計画(平成27年6月改正)(外部サイト)

※下田市歴史的風致維持向上計画(平成30年11月認定)(外部サイト) 

→伊豆の国市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→伊豆市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→松崎町の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→河津町の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→南伊豆町の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→熱海市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→伊東市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→小田原市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→湯河原町の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→真鶴町の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→静岡市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→御前崎市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→磐田市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→浜松市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→三島市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→清水町の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→焼津市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

→藤枝市の伊豆石産業遺産群の一覧例を見る。(準備中)

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