伊豆石コラム第一号

東京の町並みに伊豆石!?

一般的に明治期に多くの建物が煉瓦で作られたことは有名です。しかし、一方で近代の東京は伊豆石全盛期の時代でもありました。銀座町一丁目から芝新橋にかけて、石造と煉瓦造の町並みが広がっていました。これらの洋風の町並みの石造部分には伊豆半島産の石材が使用されました。青、白、黄と様々な色の石材が町を彩っていたと記録に残っています。明治期初めてできた洋風町並み、そして現在も栄える銀座の町並みの出発点は伊豆石等の石造や、煉瓦造の町並みでした(画像:歌川広重(三代目) 東京名所之内銀座通煉瓦造鉄道馬車往復図 明治15(1882)年7月)。

渋沢栄一と伊豆石

2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』で注目を浴びる渋沢栄一。日本近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は、1873年(明治6年)日本最古の銀行として第一国立銀行を設立します。この第一国立銀行の建物は、和洋折衷の建築技術を用いて建設されました。伊豆石はこの建築物の石材としても使用されました(画像の緑色の部分であると思われます)。徳川慶喜に付き従って静岡に居を構えていた時期もある渋沢栄一は、伊豆石が産出される「静岡」ともゆかりの深い人物です。第一国立銀行は、現在ではみずほ銀行にその形を変えて(過程はいろいろありますが)私たちの生活に溶け込んでいます(画像:『東京名所海運橋五階造真図』 一曜斎国輝 筆)。