石は貴重な資源

石なんて何処にもあるんじゃない?

石って何処にでもあるでしょ。何が貴重なの?」「その辺の落ちてる石も使われてるんじゃないの?どう見分けるの?」とよく言われますが、自然石は”同質のものを安定して大量に産出“するのがすごーく難しいのです。関東平野は広大な堆積土壌で、火山の影響を受けた石材の調達には非常に苦労したようです。明治期のお雇い外国人ブラントンの手記では、横浜外国人居留地建設の際「東京の周辺を隈無く探してようやく200キロも離れた下田で適切な材が見つかった」と言っています(画像がリチャード=ブラントン)。

海底火山の時に噴火した噴出物が凝灰岩として厚く積もり、隆起してきていて、かつその上にマグマが固まった安山岩が乗った半島が、南の海から勝手にやってきているのは正に鴨葱。また、凝灰岩層はグリーンタフと言いますが本来日本海側に多く分布しており、太平洋側の伊豆半島は例外中の例外でした

意外と少ない石の産地

江戸時代は大規模な石切場は大名に管理されており、比較的用途も限られていたように思われますが、明治期に入り石切場が民間にも多く管理されるようになると、資本主義のテーマである“均質かつ大量に”が課題となってきたと考えられます。そのような資本主義ベースに乗ることのできる産地は限られていました。また、石(凝灰岩については)を均質にとっていくタテギリ技術、つまり層に沿って坑道状に均一に切り抜く技術は房州や大谷には無、伊豆半島からもたらされました。

当時の石丁場一覧でも、伊豆半島の項目が多くを占め、いかに重要な産地であったかが分かります。明治も進み半島の石材が枯渇し始めるとジョサイア=コンドルなど当時の最高峰の建築士たちは、代替え材の確保に苦心します。彼は、紀伊半島まで行ってやっと砂岩石という良石を見つけますが、遠くて運搬費がかかりました(画像がジョサイア=コンドル)。

当時の資料から産地を限定し、必要に応じて流通を判明させ、石質を観察し、石材の分布規模を特定する。こういった地道な取り組みによって、安山岩より鑑定が難しい凝灰岩などの伊豆石でも、歴史的、地質学的の総合的な観点で、特定していくことが求められています。近世の石材の産地特定には大名が石に残した刻印を使用する例もあります。

執筆:剣持