採石技術

楔子取技法(矢穴技法)

「楔子取(ヤドリ)」と呼ばれた技法は一般的に「矢穴技法」と呼ばれるものです。巨大な堅石の露頭などに均等に楔を打ち込んで割り採ります。割り採った石材は使用する形に加工されて運び出されました。石は矢穴技法の技術伝搬経路に関しては諸説あるものの、総じて矢穴技術が多く用いられたのは、近世初期からであることが分かっています。1600年代の江戸幕府の天下普請にあたって江戸城、大阪城、駿府城などが建設された際、急激に技術が進歩し全国に広まったとされています。

鉄炮割技法(火薬割)

幕末から明治にかけて、堅石の石切り場を開拓するために「鉄砲割」と呼ばれる技術が使用されました。このころ1700年代の停滞期に石工の数が減っていた反面、土木関係の急激な石材需要が問題となりましたが、この技術により矢穴技法よりも高所にある石材を産出することが出来るようになりました。

ノデン・タテギリ

↓ノデン(石切場を下に掘り下げて石材を切り出していく方法/横じま模様が付きます)

↓タテギリ(西欧からもたらされたと考えられる石切場を広げるための高度な切り出し技術/縦じま模様が付きます)

伊豆半島の軟石の石切り場では、丁場を横にトンネル状に掘り進み、材質の良い場所に至って堀下げる技術が発達していました。方形の溝を四面に掘り、楔を打ってはがします。大正時代には、現宇都宮市の大谷の石切り場を開拓するために伊豆長岡の職人が移住して活躍しました。当時大谷にはタテギリの技術がなかったために、伊豆長岡の職人は重宝されました。この技術は大谷では垣根掘り(縦に掘り下げる技術を平場掘り)といわれるようになりました。古墳時代の研究では掘割技法と呼ぶこともあります。また、切り出しの規則性によっても時代が分類される可能性があります。

執筆者:剣持