伊豆石コラム第三号

三菱一号館と伊豆石

明治6(1873)年、岩崎弥太郎は三川商会」から社名変更する形で現在の「三菱」の基となる「三菱商会」を誕生させました。明治27(1894)年建設された三菱一号館」は三菱(弥太郎死後、弟の岩崎弥之助に引き継がれ当時の名は三菱社)にとって東京・丸の内に建設した初めて洋風事務所建築でした。三菱一号館」は、明治政府が招聘したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計され三菱合資会社の銀行部などの用途で使用されました。この建物には煉瓦と石材の様式が採用され、建設当時この石材部分には伊豆の国市江間の伊豆石「横根沢石」が使用されました。再建時(2010年)には横根澤石は既に採石できなかったため、福島県須賀川市産の石材が代用されましたが、伊豆石の重要性を後世に伝える重要な遺産です。現在は、三菱一号館美術館として一般にも公開されています。(画像:フリー画像)

岩崎家の別荘と伊豆石

静岡県伊豆の国市にある三養荘は1929年、三菱の創始者岩崎弥太郎の長男久彌の別邸として建設されました。この別荘の所在地である「伊豆長岡」は古くからの温泉街として有名ですが、実は伊豆石の一大産地としても大変に重要な場所でした。特にこの別荘に近い伊豆の国市江間の「横根澤石」の採石場は、その重要性から天皇陛下が視察に訪れるほどの産地でした。この岩崎家の別邸の敷地にも、当時石材を切り出した石丁場が残されています。三菱が当時運輸業を営んでいたことも考えると、三菱の事業と伊豆石の産業には何か関係があったのかもしれません(今後の探究課題です)。また、付近の温泉宿には石切場の中で温泉を楽しむことのできる旅館(頼朝の湯本陣)や、露天風呂の岩盤に当時の石工の遺構を見ることができる温泉(弘法の湯)があります。2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の北条義時のゆかりの地でもある伊豆の国市に足を運んでみてはいかがでしょうか?(画像は頼朝の湯本陣、三養荘他伊豆の国市内の石切場)