伊豆石コラム第二号

日本初の鉄道と伊豆石

明治維新間もなく政府は西欧技術を導入した鉄道建設を決断します。この日本初の鉄道事業には、イギリス人技術者としてエドモンド・モレル日本からは「日本鉄道の父」と呼ばれる井上勝が携わりまし工事には、鉄以外にも路線や駅舎やプラットフォームに使用する石材が大量に必要となりました。海上に線路を敷設するために築かれた「高輪築堤」には、伊豆半島や相州(伊豆石と呼ぶ場合もある)からの石材が使用された記録が残っています。鉄道用石材には江戸城の各見附・櫓台等を解体した石材を使用するなど工夫も凝らしましたが、品川沖七番御台場の建設などとかち合って石材は不足していたようです。こうして、明治5(1872)年新橋と横浜を結ぶ日本初の鉄道が開通しました。

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日本初の駅舎と伊豆石

明治5(1872)年に汐留に開業した新橋停車場駅舎は和洋折衷の建築として英国の建築家ブリッジェンスによって設計されました。また、この時現桜木町駅にあった旧横浜駅も同型の駅舎として建設されました。新橋停車場駅舎の発掘調査から、この駅舎やプラットフォームなどには、大量の伊豆半島とその周辺からの石材が使用されたことが分かっています。伊豆堅石、下田青石、相州堅石(伊豆石と呼ぶ場合もある)などの石材の種類が記録されています。現在は、白河石を用いた駅舎の形が復元され「鉄道歴史博物館」として日本の鉄道の歴史を伝えています(鉄道歴史展示室)。画像:『東京汐留鐡道蒸気機関車通行図』一曜斎国輝画